ある登山家の思索

植村直己との思い出、幾多の素晴らしい登山家たちの物語、歴史的観点に基づいた国際政治などについて

植村直己はなぜ死んだか

植村直己はなぜ死んだか

人それぞれ、様々な生き方をしていますね。生き方をしている、と言っても必ずしも自己の明白な意思で決めた道筋を歩んでいる訳でもない。

自動車の運転のように時に直進、時に右へ、時に左へと、ひたすら自らの意志に従い操縦出来ている訳ではない。

いや、自動車の運転だって突然前の車が止まったとか、子供が道路に飛び出てきたとかして、ひょっとしたらそれが自分の人生の道筋を変えてしまうかも知れない。

若い時からやってきた登山を一生続けて老年になっても昔の仲間とそこらの草山を登り楽しんでいる人もあるだろう。

ラインホルト・メスナーのように、かなりの挑戦的な登山を続け、本を書き、財産を築き、名声を楽しみ、ゆっくりと登山から離れて行く人間もある。

 

私はここで何も人生の酸いも甘いも知った(積りの)男のふりをして高尚な人生哲学を話そうなどと思っている訳ではない。

そこにあるのは、登山をたかが7,8年やり、若干の初登攀も含めヒマラヤの高峰にもそこそこの足跡を残しはしたものの或る時、植村直己、小西正嗣らとのエベレストを最後に一片の跡形も無くぷっつりとやめてしまった男の胸の中を時に触れてかすめて行った取り止めもない思索の羅列に過ぎないかも知れない。ただ、その羅列に私は今幾つかの映像を繋げている。そこにあるのは、エベレストの氷瀑の真下で見つけた6年前に姿を消した若いアメリカ人登山家の一部ミイラ化した遺体を前に、普段滅多に笑顔を絶やさない植村の口元から期せずして出てきた或るセリフと、その横顔だけでない。エベレストの帰路偶然に出会ったエリック・シプトン(当時エベレストをもっともよく知っていたものの最後の決定的な瞬間に隊長の座から降ろされてしまったイギリスの登山家)のどこか寂しげな面影、そのまた一年後デンマークのコペンハーゲンで出会い、自分の昔の山仲間の遺体を発見してくれた日本人の為にせっせと手料理を作っているトム・ホーンバイン(8000米級のヒマラヤで世界で初めて頂上横断を成し遂げたアメリカの登山家)のやせ細った後ろ姿でもある。